澤村、生きております。
しばらくお留守にしていて申し訳無いです。
こんな更新の無いブログに日々訪れて下さる方々。
拍手やメッセージを頻繁に下さる方々。
新年のご挨拶を下さった方々。
その優しさがあって『澤村サチコ』は今ここに生きております。
有難う御座います。
実は、昨年の序盤からある悩みを抱えております。
自分の事ではないのですが、とても大事な人に降りかかった事柄がとても卑怯な人間達によって隠蔽されようとしており、それがどうにも許せず、共に戦っております。
強き者は弱き者の味方であれ、と私は思います。
けれど、世間の一部では真逆の思考を持っている人間が居るんだなと、改めて強く思わされました。
人を守る嘘はついても自分を守る嘘はつくなよ、とその人達に言いたいです。
リミットは3月。もしかすればその後も続くかもしれないけれど。
とにかく、これまでは温すぎた。もっと詰めて行っても良いのだと今更気付いた。
不透明な箱を「透明だ」と言い張る人が居る。
私にはそれはどう見ても『灰色の箱』なのである。
それでも「透けている」「透明だ」と言い張り、「灰色だ」と言った人間を責め立てる人が居る。
少し掘り起こせば真実はすぐそこにあるというのに。
掘り起こされまいと土の上に足を乗せたまま動こうとしない人が居る。
その足を退けぬまま、「自分は正しい事を言っているのだ」と強く主張して来る人が居る。
正義はどこにあるのだろう。
正しさはどこにあるのだろう。
事実を塗り潰し、都合の良い事柄と偽りを挙げて「これが真実だ」と言い張るのが彼らの正義なのだとしたら、私はそれを心の底から軽蔑する。
もし、事情も把握しようとしない無責任なあの傍観者達が言ったように『長いものに巻かれる』のが『大人』のやり方なのだとしたら、それに躊躇無く賛同する人を尊敬など出来ない。
子どもは大人の背中を見ている。大人が思っている以上に物事を把握して理解して、見極めている。
何かに怯えて、立ち向かわず逃げ出すような背中を見せるわけにはいかない。
本来なら、場所や立場が違えば捕まってもおかしくない事をした人間を守ろうとしている人々だ。
そう簡単に許しては同じ事を繰り返すだけだろう。
これまでは掻い潜って来ただろうが、今回はそうはいかない。
悪い事をしたら、まずは事実を把握し、「ごめんなさい」が基本だ。子どもも大人も。
それが出来ないようならば、まずはそこから教えてあげなければならない。
やはりもう少しペースを上げなければ。
・・・久し振りに書いたら変に語ってしまった・・・。
久し振りなのにつまらん内容でごめんなさい。
色々偉そうに書いたけど、私も謝らないといけない人が何人か居る。
これまでの事情は全く話していないままで今に至る。
ごめんなさい。
今一番伝えられる気がするこの場所から、失礼を承知の上で。
ごめんなさい。それと、ありがとう。
また書きます。
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