おしゃべり SkyWalker

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≪風邪っぴき(=□=)≫

2007年02月01日

結膜炎

まーたなったよ。うん。

どうしてこう前触れもなくなるんだろうな・・・参った。

けっつけつけつ結膜炎〜♪

 

さて。

ニュースで何やらやってますね。

「女性は子供を産む機械」だとか何とか。

誇張した報道かと思っていたのに、実際「機械」って発言してる映像を見てドン引きしました。

だって・・・アホでしょ。いい大人、しかも政治家が。

内心思ってても公で言っちゃダメな言葉だってのくらいわからなかったのかな。

勉強出来ても頭が悪い人の典型を見たような気がします。

と、他人を見てそう思う私も相当頭が悪いと思いますが。

 

うーん、女性が子供を産む機械だっていうなら、男性もまた子供を生産する機械って事になっちゃうと思うのだけど・・・それは良いのかな。

公で口にして良い言葉と悪い言葉がある事くらい誰かが教えてあげれば良いのに。

偉くなり過ぎると誰も教えてくれなくなるものなのかな。

 

と、今さっき見たニュースきっかけで書いてみました。

 

あれ・・・風邪引きそう・・・。

何か鼻の奥辺りに違和感。

いっつも鼻と喉から悪くなる風邪を引くので、物凄く嫌です。

結膜炎だしなぁ。今は菌にやられやすい体調なのかもしれない。

自己管理、頑張ります。手遅れかもしれないけど。

 

あ、そうだ。

この間書いた長文日記に対して「読んだよ」というメッセージを下さった方がおられまして、澤村は感激しました。

駄にも程のある駄文を全部読んで下さったなんて・・・ねえ、もう。←?

ものっそい嬉しいです。ありがとうございます(*^^*)

 

こう・・・自分の書いた文を読んでもらえるっていうのは、ここに存在している自分を確認してもらえているようで、それが幸せだなと思います。

最近本当ね、幸せを噛み締めてしまうのです。

周囲の人の幸せを祈ってみたり。

ちょっとおかしくなっちゃったのかい?ってくらい、普通にお祈りを捧げていたりします。

 

昔々の話なのですが、ちょっと書いてもよかですか。

 

 

私が”クリスマスにプレゼントをくれるサンタさん”が居ると思っていた頃の話。

私がサンタさんへの手紙に書いた”欲しいもの”は、現実には誰かが人に与えられるようなものではなかった。

でも、次の日サンタさんはお返事をくれた。

その手紙には、”あなたの望むものはあげられません”と書かれていて、私は悲しくて号泣した。欲しくて欲しくてたまらなかったものだったから。

しばらく泣いて、手紙に続きがある事に気付いて読んでみた。

そこには、「あなたに私だけが知っているお祈りの方法を教えてあげましょう」と書かれていた。

ほんのちょっと特殊な手の組み方をして、自分以外の人達の幸せを祈る。それがお祈りの方法。

・・・あ、いや、違った。「お母さんだけが知っているお祈りの方法」だ。

で、母親に聞いたらその方法を教えてくれた、と。

その日から私は、眠る前にそのお祈りをして眠った。

でも、それもしばらくすると忘れてしまっていた。

 

母親が亡くなって、二十歳を越えて数年経った頃、ある日突然”お祈り”の記憶が鮮明に蘇った。

試しに、手を合わせてみた。自然と周囲の人々の幸せを祈った。

それからは事ある毎に”お祈り”をしてはその日一日の皆の平和を願っていたりする。

 

周囲の人が幸せで平穏であれば、私も幸せで平穏だしね。

自分が平穏でありたいからこそ、大事な人々の平穏を願う。

多分、”サンタさん”はそういう事を言いたかったんだと今頃思う。

結局最終的にはどんな事も自分の為だし。

幸せでいて欲しいから幸せを祈る。それは、幸せそうなその人を見て幸せな気持ちになりたいと思う自分が居るからこそ。

「誰かの為」なんてのはただの押し付けだと私は思う。

 

最近私は心配性気味だったりする。

家の人を送り出す時、友人が一人でお出かけする時、家族から”買い物行く”だとか連絡を受けた時。そういうのが全く無い時でも。

”出先で事故や事件に巻き込まれませんように”と真剣に祈ったりしてしまう。

大事な人がいなくなってしまったり、痛い思いをするのは本当に嫌だから、それが本当に不安で何度も祈ってしまう。

神経質なんだろうけど、ただの心配性なんだろうけど、世の中いつ何が起こるかなんて本当にわからないから。

自分が近くに居られない時、自分の大事な人がどうか平穏で過ごせていますようにと思う。

出かけた人なら、無事帰って来ますようにって。

本人帰宅の代わりに病院から電話とか、本当に嫌だし。

何かどうも最近、昔の色んな出来事が思い出されると同時に”不安感”として心に住み着いてしまうので、それを払拭する為にも沢山祈っている気がする。

 

とにかく、皆が一日平穏でありますように。もし誰かが痛かったり辛い思いをする運命なら私が身代わりになるから、とにかく幸せでありますように。

 

・・・なんて、怪しいんだけど、本気で思ってたりする。

自分の痛みや辛さなら自分のものだから理解出来るけど、人のそういうものは結局わかってあげることは出来ないからね。わかったつもりになる事は可能だけど。

辛い人を傍らで見ているくらいなら自分が辛い方がマシだなと思う。

 

だから祈る。子供の頃にサンタさんに教えてもらった方法を引用して、そういう小さな”藁”にすがりながら、拘って変わらないスタイルで祈る。

祈ったその日、大事な人の帰宅を迎えたり、連絡を受けたりする事で無事を確認出来ると、すごくホッとする。

最近は不安と安堵を日々繰り返している気がする。

 

ごく普通に暮らしていれば、そうそう大変な事は無いとは思うんだけどね。

でも、気を抜いた時に悪い事が起こったりするもののような気がしてしまうから、やっぱり常に心配してしまう。

 

よく考えると、”サンタさん”に教えてもらった方法に拘る必要は何一つ無いんだよね。

でも、普通に祈るよりなんだか効き目があるような気がしてしまって、どうも止められない。

祈ったところで助けてくれる神様が居るとは思ってないけどね。神様は居たとしてもあくまで事を”見守る”事しかしないんだと思ってるし。

だからなんか・・・何だろうな、やっぱり自分が安心したいだけなのかもね。

 

とにかく、世界が平和で・・・なんて、範囲広すぎて偽善臭く聞こえるような事は言わないから、せめて自分の大事な人達が平和であってくれたら良いなと日々思う。

どうか今日も幸せであれ。

 

それはそうと・・・ウチに来てた”サンタさん”って、凄かったのよね。

いつプレゼントが置かれていたかもさっぱりわからないし、書いた手紙に貰ったお返事の筆跡も私の知ってる誰のものでもなかったりした。

子供ながらに「これは親が書いた手紙なんじゃないか」とちょっと疑ったりして筆跡を確認してみたりしたんだけど、全く違って。

お陰でかなり大きくなるまで・・・っていうか、父親が入院してクリスマスにプレゼントが貰えなくなって数年経つまで、ソリに乗って空を滑って来てプレゼントを置いて行ってくれる”サンタさん”は居ると思ってたし。

徹底してるって凄いなぁと、成人して兄弟にお子が産まれてプレゼントをあげるようになってから深く思った。

 

未だにどこかで信じてるよ。地球の寒い国に実際に住んでる方のサンタさんじゃなくて、空を滑ってやって来る”サンタさん”の存在。

信じてる方が楽しいし、夢は無いより有る方が何だか素敵だもの。

 

と、お祈りやらサンタさんやら色々書いてみた澤村でした。

無宗教のくせにお祈りなんてして良いのかどうかわからないけどね。

なんか、どっかに思いが届けばそれでいいや。

 

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posted by 澤村サチコ at 07:38| コメント【文字】